サッカー日本代表を応援し続ける アーリーリタイアしたらスポーツ観戦を満喫する

ドーハ世代も浦和を目指す

 

サッカー観戦を始めたのはJリーグ開幕前年なので、もう30年近く。

W杯も、ニューヨークでも、日本でも生で、5試合観てます。

そんなオジサン・ファンが久しぶりに日本代表戦の応援に行きました。

 

 

満員のスタジアムでやりたい

キャプテンの吉田麻也が、呼び掛けました。

「みんな満員のスタジアムでやることに飢えているとヒシヒシと感じている」

コロナ禍でアジア予選期間中、ずっと満員の観客に見せることなく、大会を進めてきたけど、最終戦でオミクロンが落ち着き、やっと全開放で観客を呼べるようになったという。

 

「6万人入って頂けたらすごくうれしい。僕らはパフォーマンスでしっかりと恩返しをする」

 

これ、正直な気持ちだと思う。

実際、彼らが所属するヨーロッパでは全開放で試合している国が多い。

 

「欧州とかオーストラリアは明らかに日本と違うので、なんとか少しでもいい方向に持っていきたい。スポーツだけじゃなくエンタメも飲食もみんなすごく我慢している。誰かが扉を開かないといけないと感じていて、僕はそれが日本代表なんじゃないかなと思う」

 

そうだよ、コロナは長い長い闘い。国民だから、政府や自治体が決めたことは守るけどさ。

こうして変更され続けるルールの中でも、しなやかに動いて、少しづつ日常を取り戻そうよ。

 

誰かが扉を開ける時

我々なら、そういう新しいルールができると思う。

そして、そうやってコロナと折り合いつけていかないといけないじゃん!

誰かが扉を開ける時が来たなら、リーダーの声に同意して、自分も行動を共にしようと思ったのです。

7連続出場

 

折もおり、オーストラリア戦で7連続出場を決めてくれました。

実は、なにもなければ、アーリーリタイアの余勢をかって、今回はカタールに行こうと計画していたW杯です。

こうして日本が出場決めたお祝い試合なのだから、リアル観戦に、こんな意義のある試合はないぞ、と即決して、久しぶりに日本代表戦のチケットを入手しました。

実際のスタジアムでは

埼玉スタジアムでは、観客数上限は撤廃されたものの、実際の所は、応援は、発声、チャント禁止。マスク完全着用という厳しい制限付きでした。

でもね、拍手主体の応援しかできないけど、まずキャプテンの呼びかけに応じて、4.4万人がそこにいることが大事だったと思う。

そして、入場の時に起きた4万人のスマホ点灯、怒涛のようなクラッピングなど、無声の中で編み出された新しい応援方法は感動的だった。

 

アウェイのサポートに動いてもらう方法とは

 

正直いえば、そんなコロナ環境下での新しいルールを、アウェイのベトナム応援団に説明しきれてなくて問題も多かった。

ベトナム語で大声でチャントするアウェイ側を羨ましく思ったり、ルールを守れない奴だとなじる雰囲気あった。

会場ではうるさいくらいにアナウンスが流れてきたんだけど、それがベトナム語ではなく、日本語と英語のアナウンスだけでは効力は薄かったと思う。

他国の人々に行動を促す方法はもっとたくさんあったはず、とても残念だった。まぁこれは運営の問題。

 

 

サッカー人気の頂点に潜んでいた「魔」

ちなみに、熱心な日本代表ファンで、幾度も代表戦を応援してた自分が、8年くらい前から現場に行かなくなった理由も、この「応援」だった。

W杯出場がいつの間にか国民行事になり、W杯決定に向けて試合の応援が加熱する中、代表選のスタジアムには、単に騒ぎたくて、身体を激情に任せたくて、応援しに来るファンが増えてきていた。

長閑な時代を知っている自分としては、プレーを見るより、ゴール裏で騒ぐサポーターの増殖に嫌気がさした。

だって、サッカーじゃなくても、関係ないんだもん。渋谷の交差点でハイタッチする光景も、ただただ騒ぎたくてやってるという風にしか思えなかった。

 

それがサッカー人気の頂点だったと思います。

なにしろサッカーを応援していることが最先端のカッコよさになっていた時代。W杯の余韻で日本サッカー協会も派手だった時代。

そういうときに、衰退の芽は植えつけられるんですよね。

こういう傾向は、次第に真剣なファンを萎えさせるのだろうなぁ、と思いながら、正直、自分も距離を置いた。

以降は、代表戦は、テレビ観戦で十分というスタンスに落ち着いた。

 

テレビ観戦すら奪われて

そして、今回のカタールW杯予選、なんとアウェイをTV放送しないという事態が起こった。

放映権料の高騰というが、あの時代の芽が、真剣なファンを軽んじたツケがこうして回ってきたんだと思った。

有料配信番組時代の到来なのは、元業界人だからわかるけど、それは「終わりの始まり」。

これで、確実に「国民スポーツ」の座からは滑り落ちる。

知ってる人だけがそのスポーツの話をするというマイナースポーツへ逆戻り。たぶん、もうあの国民をひとつにするような感動体験は戻ってこないんだろうな。

 

サッカーを本当に応援するスタイルとは

 

だからこそ、だからこそ、これからなんだと思うのです。

熱狂時代の反省も生かして、コロナ時代に沿った、新しいサッカーの応援スタイルを模索していこうと思うのです。

今回の吉田麻也選手のメッセージの意味、そのタイミング、その意気込み、それをきっかけにしていければいいなと思います。

これからもサッカー日本代表とともに!

 

ちなみに、昔、書いていたサッカー詩集です

フットボールの詩|太田泉 / 太泉|note


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