「ゴキゲンな食卓」コロナ以降の家族と食 シニア起業で挑戦する持続可能な社会貢献

ゴキゲンLIFEを追求していくなかで、いま家族の生活満足度を上げるためにはどうしたらいいかを研究しています。

今回は、「食卓を巡る幸福度」の話です。

家族と食レポート:「平成の家族と食」晶文社 品田知美編を読んで

食事と生活満足度の相関

食事と生活満足度は密接な相関がある。

「平成の家族と食」の調査報告では、「食卓の会話が弾むと幸福を感じる人が多い」と説明されている。

これは個人的にも納得感の高いデータ検証だと思う。

でも、それに対して「家庭料理は手作りすべき」という固定概念のプレッシャーが大きくのしかかります。

 

食事の準備の問題=男女の家事負担の問題

実際のところ、家庭の食事の問題は、「食事の準備の問題」です。

誰が、いつ、どこで、どうやって、食事を準備するか、この「食事の準備の問題」が、日本ではそのままジェンダー問題になったままなのです。

昭和に中流の証だった専業主婦へのあこがれが残ったまま。

男子が全く厨房に立たないまま時間だけが過ぎてしまいました。

本書ではいまの時代でも、男性はまったく家事をしていない事実が、調査データで明らかにされています。
様々な調理のイノベーションにより、調理時間は短縮されたが、この家事負担の男女差が、日本の家族を不幸にしています。

 

レンチン文化による調理のイノベーション

 

この女性に偏った食事の準備を救ってきたのが、歴代の調理のイノベーションでした。

昭和期は、家事電化製品の開発がそれでしたが、現代では調理のイノベーションのメインは、「レンチン文化」の発展と同じです。

レンチン文化の三種の神器は、冷凍食品、レトルト食品、インスタント食品で、この3種が圧倒的に調理時間を短縮しています。

これにより主婦の可処分時間が増えて、かつて専業主婦だった層の多くが、兼業主婦になることができました。

 

「家庭料理は手作りすべき」という呪縛

ところが、兼業主婦にとっては、相変わらず「家庭料理は手作りすべき」という呪縛が、とても強いこともデータで示されます。

兼業主婦に対して食事における回数プレッシャー(一日3食志向)、品数プレッシャー、栄養管理プレッシャーなどが大きく降りかかっています。

しかし、時間のない兼業主婦が、すべてを食事を手作りするのは非常に困難です。いまや「家庭料理は手作りすべき」というのは呪いの言葉でしかないのです。

 

家事の「手抜きの罪悪感」とその正当化手法

調査によるとレンチン食材、改良に改良を重ね、いまや便利だけでなく、おいしい。
だが、「家庭料理は手作りすべき」という固定概念から、「手抜きの罪悪感」が付きまといます。

だからこそ、現在の中食の隆盛のなかで、必要なのは「手抜きの正当化」になってきています。

 

中食の合理化

 

著作では、「手抜きの正当化」の方法では「中食の合理化」が指摘されています。

コロナ以降のテイクアウトは全盛です。

いまや、中食店・ファーストフード店、ウーバー対応店は増加する一方、そのメニューは多様化し、栄養効率も十分に計算されており、コスパも高く、経済性に対する認知も格段に向上しています。
手抜きの罪悪感さえ払拭できれば、中食の合理化にふさわしい状況は整っているのです。

 

コンビニ、スーパーでの惣菜購入の意義

 

特に、「中食の合理化」のなかで、注目すべきは、コンビニの存在感です。

データ上、コンビニの日常化現象はまだらでした。それは年収との相関が強く、年収400ー999万円世帯に多く、それ以下の年収だとコンビニはコスパが悪く、贅沢品の扱いになります。
それ以上の年収(1000万円以上)だと、コンビニよりデパ地下などに食材仕入れが高級化し、専業主婦層が増えるため、コンビニ依存率は下がります。

つまりデータを読み解くと、「コンビニは中流の働く女性が時折、食材を調達する場所」なのです。

だからこそ、中流の働く女性の社会進出に合わせて、コンビニの中食と食材のメニューは、多様化し、より家庭料理化してきているのです。

 

コンビニに比べて、スーパーの活用は、世代・年収の差などが見られない優等生でした。
つまり、日本の中食は主に、スーパーの惣菜と食材に支えられているのです。
それを補う形で中間層にコンビニ中食があり、上層にデパ地下の惣菜が存在するという、3層で構成されています。

 

男子初心者の家事が始まった

 

「男子厨房に入らず」主義は、コロナ以降で大きな節目を迎えている。
リモートワークで家庭に回帰したときに、家事能力の低い男性は、とても家庭に居づらくなり、遅まきながら家事負担を担わなければならない状況になってきました。
TV番組「家事ヤロウ」のインスタに220万人集まるようなムーブメントはその象徴です。

コロナとリモートワークが変えた最大の変化が「食卓」だったのです。

 

「共食」の贅沢

忙しすぎる日本人にとって、いままで、家族とともに食べる「共食」は、休日の贅沢でした。

この共食が、平日にも日常化したことが、コロナがもたらした革命的な変化でした。

コロナ以降、いまや「平日の家族との共食」こそ、幸福の象徴になりつつあります。

 

「個食化」という難題

ただし、そこにも時間差食など、家族バラバラの「個食」の課題が潜んでいます。

近代民主主義が拡大してきた個人の自由、それが「個食」の根源です。

それ以前の社会では家族同時食は当たり前でした。一億総中流化した専業主婦も同時食を全国に広めました。

しかし、昭和後期から平成にかけて、個室食、個食が増え始め、個人生活重視の流れのなかで、同時食が不可能な場面が増え、労働時間の増加が拍車をかけて、個食の時代になりました。

 

「ゴキゲンな食卓」:共食で新たな家族スタイルへの挑戦

 

いままでの検証から、コロナ以降で起こっている「共食」への動きは、新たな家族スタイルへの挑戦と読み取れます。

個食の時代を経て、再度、食卓を家族で囲むという意義が再認識されました。そこでは家族の構成員の「独立と協働」を認め合う「家族の在り方」の再定義が必要になります。

 

その象徴的なシーンが「ゴキゲンな食卓」でしょう。

家族の都合にあわせて、公平に料理を準備し、皆で食卓を囲み、会話を楽しむ、これこそが、時代の気分なのです。

そのためには、コロナ以前に比較して、もっともっと「簡便な調理、短時間の準備、豊かなもてなし、会話が弾む楽しい仕掛け」が求められるはずです。

 

これこそが、自分が求める社会貢献のテーマです。

 


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