本当に必要なものは「ご近所コミュニティ」! 「孤独」を防ぐ素敵な方法

「会社以外のコミュニティは必要ない」か?

 

さて、あなたは、会社以外の「コミュニティ」をお持ちでしょうか?

「コミュニティ?? そんなの必要ない」と思っていませんか?

でもね、人生の後半生も、その考え方で走り切れますか?

5年前の自分は、極度な「仕事マニア」でした

 

仕事の仲間以外の友達もいない。趣味もない。

休日は、もっぱらソロ活。夫婦で出かけることはしても、他の人とつるむことは皆無でした。

ひとりで高尾山に登るか、図書館に行くかなどで、勝手気ままに過ごしていました。

もちろん、ご近所に知り合いなんて一人もいない。都会に住んでるので、それで済んでしまうことが多いのです。

子供もいないから、PTAの付き合いもないし、マンションなので、地元の自治会にも所属していない。

 

正直なところ、会社と家族だけが、自分の持つ「社会」であり、「コミュニティ」でした。

 

裏を返せば、50歳を過ぎて、外資系IT企業に勤めだしたので、余裕がまるでなかったんです。

業務には高いクオリティが求められ、結果に対して厳しい査定、通じない英語、ITスキルを更新しなくてはならず、クラウド、Saas、サブスク、DX、AIなど次々に出てくるキーワード・・・。

「仕事漬け」になるしかないくらい、そのコミュニティで生きていくことが出来なかった。

まぁ、本当に余裕がなかったのです。

 

そして、その頃は、いまのあなたと同じように思ってました、「コミュニティ? そんなの必要ないさ!」って。

 

「仕事で知り合った人のコミュニティ」にある、暗黙のルール

 

もちろん、自分も、仕事で知り合った友人は数知れないです。

Facebookだって500人以上のおともだちがいます。

日本中、なんなら世界にも、ソウルメイトと呼べる存在が、たくさんいます。

 

でも、このソウルメイトを巡るコミュニティって、現役だからこそ有効な関係ですよね。

それが永遠に続くと夢想するのは勝手なんですが(笑)。

よくよく考えれば現役ならではのWin-Winの構図で築かれた関係です。

それであるがゆえに、相手にGIveできないなら、自分がTakeだけをし続けることは許されないはずです。

その一方通行をしないからこそ、ソウルメイトの契りが成立すると思っています。

それが僕の哲学です。

 

だからこそなんですが、「仕事上で築かれたコミュニティが、リタイアした後に残るコミュニティか?」と問うと、「同時期にリタイアした同士ならそれなりの日常的な交流が残る場合もあるが、現役に残っている人たちとはほとんどは、成立しない」のではないと考えます。

 

この現実を理解しないで、現役時代のコミュニティ以外を持たないと、リタイア後に、どこにも行き場がなくなるのではないでしょうか。いわゆる「引退後の危機」ですね。

 

アーリーリタイアすると失われるもの

 

「コミュニティは必要ない!」で、本当にいいのかなぁ?と、疑問を持ち始めたのは、FIREやアーリーリタイアを検討し始めた時期からでした。

 

経済的な自立に目途が経ち、真剣にセミリタイアを考えるようになる。

その仕事を辞めるという決断の前に、気になることが出てきます。

 

リタイア後の生活で何をすべきか?

経済的自立が達成されたとして、その後の人生は楽しいのか?

日常生活において、誰と時間を過ごしていくのか?

その生活は、寂しくないのか?

その交流で満足できるのか?

そこが、今の仕事漬けの生活よりも楽しいのか?

という、会社人間ならではの事が気になりだすのです。

つまり、社会的なつながり、いわゆる「絆」がなくなってしまうことが、不安になるのですね。

 

このテーマを考えたうえで、このゴキゲンLIFESHIFTブログでは、「ゴキゲン×ヤリガイ」のバランスを取ることを推奨してます。

 

会社のストレスから解放されてゴキゲンでいるのは大事なのですが、人間、ただ単にストレスがなく、リラックスして、暇にしていることに満足しない「どん欲な生き物」なのです。

自分がなにかをして「人から感謝されること」が、生きていく上でのモチベーションなのです。

感謝をもたらしてくれる「ヤリガイ」を失うと、人は元気をなくしていきます。

 

そして、感謝は、コミュニティに参加する人々からもたらされます。

つまり、ヤリガイとは、他の人から与えてもらう「生きる糧」なのです。

 

ヤリガイ・コミュニティを失うと、人生は、ゴキゲンではいられない。

だからこそ、「ゴキゲン×ヤリガイ」のバランスを取ることが重要で、それを与えてくれるコミュニティは人生の重要パーツなのです。

 

ヤリガイを与えてくれるコミュニティに関する不安が、アーリーリタイアが現実になると突然増してくるのです。

 

 

会社を辞めたら、自分は社会的に無価値な存在になるのではないだろうか?

誰とも交流しない、会話もない毎日に耐えられるだろうか?

 

不安は、考え出すと、どんどん大きくなります。

 

コロナがもたらした「孤独の認識」

 

この不安感は、コロナ生活でより鮮明になりました。

オンライン会議でしか会話しない同僚。顔も見えない「SOUND Only」の会話、SNSでの関係性の薄い接触・・・。まさに不安が的中して、コミュニティを持たない生活が、とても苦しくなりました。

 

思えば、オフィスで交わす朝の挨拶、廊下ですれ違う時のひとことの、なんと暖かかったことか。

あれが、当たり前の日常だったことに、感謝をしなければいけなかったのです。

深い飲み会なんかいらないです。ランチの会話さえも贅沢だと思います。

アイコンタクトのひとつでいいのです。目くばせだけで充分だったのです。

他者をおもいやる心遣いに気づきました。あの思いやりが、心の底から欲しかった。

 

意識しだすと、「社会的な孤独感」、「つながることのできない寂寥感」は、底なしでした。

 

アーリーリタイアをすると、今までのコミュニティが全て失われ、どこにも接続していないという精神的な孤独感が増大するだろう、という不安は、コロナで確信に変わりました。

 

そして気づきました。

実際には、しごと以外のコミュニティを持たなかった代償は、大きかったのです。

この段階になって「仕事以外のコミュニティは、やっぱり必要なんだ!」と痛感しました。

FIREを決意するにあたり、会社以外のコミュニティを創ることを決意しました。

それが、3年前です。

 

実験1:コミュニティづくりは趣味の世界から

 

そして、仕事漬けの人間が一念発起して、コミュニティを創る「実験」を始めました。

 

まずは、趣味を持つことにしました。

 

昔から美術は好きで、絵を書くのが好きでした。でも、絵を描くだけならソロ活で十分。

コミュニティの実験のためには、一人ではできないことで、先生や同僚がいることが必要です。

 

そこで、初体験である「陶芸」を試してみました。

陶芸をやるためには、ロクロ、電気釜、釉薬等のある程度装備がそろった教室に通う必要があるからです。

 

門をたたいたのは、地元の深大陶芸教室でした。

教室紹介 – 深大寺陶芸教室 (sakitou.com)

今思えば、ここで、正解でした。

 

師匠の馬場さんに会えたのも、講師のみなさんにやさしく迎え入れてもらえたのも、コミュニティ入門編としては、本当に助かりました。

 

特にここの教室の距離感が絶妙でした。

近寄りすぎるでもなく、離し過ぎるでもなく、遠目で、やさしく見守る感じ。

陶芸の場合、基礎を教わると、独自のクリエイティブに入っていくので、技法的に相談を持ち掛けてくるまで、黙って見守るというのが、この教室のルールのようでした。

これが、コミュニティ初心者の自分にマッチしました。

 

人からは「人見知りしない性格」と思われている自分ですが、この趣味のコミュニティで、ほかの会員さんに話しかけられるようになるのには、2年以上の期間が必要でした。意外でしょ。

それは、引きこもりの人の社会活動へのリハビリみたいなものでした。

誰にとっても、知らない人と知り合いになるのは、ハードル高いですよね。

 

でも、陶芸が好きという場で集まっているメンバーですから、その人の作品をホメていけば、自然と友達になりました。逆に、自分の作品をホメてもらえば、それだけでその人は無条件に「いい友達」でした。

そして、関係ができてしまえば、その後の会話は結構つながるもの。

「その作品はどんな工夫をしているのですか?」、「次になににチャレンジするんですか?」、「ランチってどこで食べてるんですか?」、「先週、来なかったけど、どうしてましたか?」って、だんだん、その人の生活やご近所情報を知るようになってきます。

 

こうして、実験は成功しました。なんとか、物静かなシニアというイメージから、交流したい人だと認識されるようになってきて、以来、みなさんにかわいがっていただけるようになりました。

 

成果は上々でした。

 

・仕事人間でも、趣味は持てる

・趣味を通じて、友達はできる

・趣味のコミュニティは、ゴキゲンでヤリガイがある

実験2:ご近所書斎に押し掛け応募した理由

このブログで、たびたび登場する「仙川書斎」ですが、創設コンセプトは「ご近所書斎=空き家×ご自宅周辺で自分専用の書斎×地域コミュニティ」になっています。

ちょうど、コロナ禍でこの問題を考え続け、アーリーリタイアを実行した頃、このコンセプトに出会いました。

自分としては、このご近所書斎がハブになって、「自宅周辺で地域コミュニティ」ができるという可能性に惹かれました。

このコンセプトに出会って、陶芸で出来た「趣味のコミュニティ」の延長線上に、「ご近所におけるコミュニティ」を創るという課題が、見えました。

いままでの会社コミュニティの次に、こういう地域に根差したコミュニティが、後半生の自分に必要なだと直感したのです。

 

そこで、まだオープン前なのに、ファウンダーにお会いして、活動に参加させてもらいたい旨を伝えました。

それはもう実際には「押し掛けコンサル」のようでした。でも、意気投合して、この夢を応援していくことになりました。

 

「ご近所の人づきあいが持つ」イメージの刷新

とはいえ、「ご近所」という語感から、皆さんが抱くイメージは「昭和の町内会」だと思います。

今日の惣菜を分け合い、お祭りの準備を共にして、回覧板がまわってくるご近所付き合い・・・。

 

令和の都内で、そんなものを復活させようという意図はないです。

ただし、現代のわれわれにも、居心地のよい地域コミュニティは必要だということは再認識できた。

 

そして、コロナ以降、リモートワークが当たり前の権利として認められていくときに、職住が近接し、住宅地域に働く環境を整えるという新しい社会全体のイノベーションが求められています。

ただし、その理想的な形は見えていない。

ならば、この地から創り始めればいいのではないか、そんなプロジェクトなのです。

 

「サロン」の現代化 ー 僕らに必要なのは「居心地のいいコミュニティ」

 

キーワードは「ゴキゲン・サロン」なんです。

 

イメージ的には、ご近所にできた居心地のいい「サロン」。

文化的で、知的な集団の集い。大人が安心して働けて、リラックスして情報交換ができる場所。

一緒の空間を使用するけど、過度に干渉するわけでもなく、上品に接触できる「止まり木」が目指す方向でしょう。

 

特に、世田谷区の最西部にある仙川というエリアの特性をしっかり反映し、現在住んでいる人々を吸引する。

そしてこのコワーキングスペースに集まった人たちの好みで、次第に心地よさを増していくような終わりのないサロンが目標なのだと思います。

よく話しているのが、「場末のスナックのような疎外感には絶対にハマらない」ようにデザインしたいねって相談しています。

 

現実には、コミュニティ活動の開始1ヶ月で、読書会を開催し、メンバーと知り合いになるピザパーティーや、なんとボランティアメンバーで駅前のチラシ配りまで実現しました。

 

これ、駅前のコワーキングスペースみたいな存在なら考えられない行動だと思いませんか?

運営企業に属していないお客さんである方々が、駅前で大声で宣伝しながら、小雨の中、チラシを配るんですよ。

なんか、感動したなぁ。

みんな、この居心地のいい場所を応援したくてしょうがないんです。

なんとか、ここがうまくスタートアップしてほしいと願って、ボランティアでお手伝いしてくれるのです。

 

 

今日も、何の予告もしてないのに自然発生的に「仙川書斎をよくする提案会議」が発動しまして、いろいろな意見を、いろいろな人が提案してくれました。

SNSで途中お知らせしたら、わざわざそのためにメモをつくって参加してくれる人までいて、ドラマみたいな展開でした。

 

みんな、ご近所にできた素敵な場所に参加したいし、それを成長させたいと考えてくれているんです。

最初の自分のように、押し掛けて、アイデアをいいたくなる、そんな場所が生まれつつあるんです、仙川で。

 

ゴキゲンな「ご近所コミュニティ」を創ろう!

趣味のコミュニティと、ご近所のコミュニティを持つトライが、こうして、アーリーリタイアをした自分の活動の中に入ってきました。

それは、会社以外の「居場所をつくる旅」です。先はわからないけど、ここで楽しそうに作業をしてると、周りの人たちが、なんか集まってくるんです。そんな不思議な場所ができそう。

 

そして、コロナ騒動を体験したみんなに言いたいのは、リモートワークをこれだけ経験した後、我々の人生観は大きく変わるし、会社以外の人生はいろんなところで始まっている、ということです。

それぞれの場所で、それぞれのやりかたで、ゴキゲンな居場所をつくってみませんか?

 

 


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