明日、目が見えなくなったら、どうしますか?
実は、眼科医から「緑内障」の診断を受けています。緑内障は、最悪、「失明」という難病です。
進行が始まれば、良化することはなく、視力は悪化するだけです。
そのスピードを緩めるための治療はありますが、完治は現在のところ見通しがありません。
ということで、私は、「目が見えなくなるという恐怖」を、常に身近に感じています。
かれこれ10年ほど前に、眼底検査をして眼球異常が発見され、精密検査の結果「正常眼圧緑内障」と診断されました。
ただし、症状は出ていないので、経過観察し、視野の欠如などの具体的な兆候が現れたら、点眼治療を開始すると言われてきました。
ところが、10年経っても発症せず、そのまま視野検査などで経過観察を続けている状態です。
なので、私は、「緑内障予備軍」のまま、現在進行形で「目が見えなくなるという恐怖」におびえて暮らしています。
と、いうことで「目が見えない世界を体験する」という、このイベントにとても興味がありました。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
WEBの解説より ダイアログ・イン・ザ・ダーク (dialogue.or.jp)
「ダイアログ・イン・ザ・ダークは、視覚障害者の案内により、完全に光を遮断した”純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメントです。これまで世界47カ国以上で開催され、900万人を超える人々が体験。 日本でも各地でオリジナルイベントが開催されています」
純度100%の暗闇の体験
あなたは、真の「闇」の経験はありますか? その闇の中に生きる視覚障害者の感覚がわかりますか?
これは、その「闇」に入り、視覚障害者の感覚を体験するイベントなのです。
すでに長年に渡り、会場がいろいろと変わりながら、イベント開催されてきましたが、新規に大人向けのイベント会場ができた、ということで、がぜん、興味が湧きました。
国立競技場の「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜」のダイアログ・イン・ザ・ダークの専用エリアができ、昨年末から「五感」をテーマにした新しいアトラクションが始まったとのことで、早速、体験してみました。
WEBの解説より ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇。」 (dialogue.or.jp)
「漆黒の暗闇。
そこは目を使うことのない照度ゼロの空間。
躙(にじ)り口のような小さな戸口から新しい世界に入る。
肩書も年齢もないただの自分が、一歩、一歩丁寧に歩いていく。
まるで足の裏に目があるように 。
全身を耳にして、清らかな水のせせらぎを聴く。
触れるものすべてが新鮮な情報となり、体の内に眠る五感がいきいきと巡りはじめる。
心と身体をととのえよう。
人間本来が持つ、内なる美が目覚めていく。
ここ神宮外苑で、豊かな自然に囲まれ、自分と対話する大切な時間を」
会場はホテルの2階にあり、この階段を上っていきます。
15分前に集合し、8名の参加者と一緒に事前の説明会を受けます。
・会場は、真の闇の空間で、光は一切ない
・会場では、視覚障碍者がチームを案内する
・持ち物はすべてロッカーに預けて、靴も靴下も脱いで控室に待機すること
ここまでが、健常者の世界の話でした。
ここから先は、障害と健常が逆転した世界になります。
ここから先の世界では、いままで見えたことが弱点になり、いままで見えなかったことが強みになるのです。
闇の世界の入口
控室には、8名の参加者と、案内人になる方がいました。
その目が不自由な案内人を仮にAさんといいます。
Aさんは、手の延ばして壁にある電灯スイッチをゆっくりと探します。
非常にゆっくりと壁をたどって、スイッチを探しています。
そしてその指先がスイッチにたどり着いたときに、ゆっくりとライトが消えていきました。
そして、漆黒の闇の世界が始まりました。
奪われた視覚
こうして私の視覚は奪われました。光がなければ、「見ることはできない」。
単純なことですが、このときまでそれは単なる知識であって、自分の体験ではありませんでした。
本当に「光がなければ、見ることはできない」のです。
この真の闇の世界では、目は何も感じることができません。
視覚情報が8割と呼ばれるのが、私達の日常生活です。
その80%の情報がなくなった時に、人間は急激に不安になります。
その時、Aさんが我々に落ち着いた声で語り掛けてきます。
「ようこそ、これが私たちの日常の景色です」
そして、蘇る身体感覚
視覚に頼ることができない不安のなかで、落ち着いたAさんの声は、唯一の「確からしさ」をもたらしてくれました。
彼女の誘いによって、8名は白杖を渡された私たちは、ヨタヨタと歩き始めました。
闇の世界では、東西南北、上下左右という通常の方向感覚は、ほぼ失われました。
ただ、Aさんの声の方向だけが、ひとつのベクトルとして立ち上がります。
声のする方へ、手の鳴る方へ・・・。
触覚
杖が床面の感触を一歩先に伝えてくることを、このとき学びました。
そうか、だから「杖」なのだ!
歩く先の風景を杖がちょっとだけ先に教えてくれるのだ。
杖を通じて、触覚が研ぎ覚まされていく。
暗闇に真っ先に頼りになったのは、「触る」感覚。
空気の流れを肌で感じる感覚でした。
そして、言われます。
「そこに、躙り口があるので、ひとりずつ腰をかがめて、入ってきてください」
躙り口(にじりぐち)! ???
この不安な世界でいきなり、壁が出現して、さらにそこに穴があるの??
まず、壁を探す。杖を前に出して、なにかにぶつかるまで、探す。・・・あった。
指先で壁を伝って、そこにあるであろう「壁の穴」を探す。・・・ない・・・
途方に暮れていると、
「あっ、ここにありました、僕から入ります」と冒険隊の仲間が先導する。
「・・・こちらなので、私の手につかまってください」、急に、旅の仲間が増える。
みんな初めての体験のなかで、不安だったけど。
こうして、暗闇のなかで、声をかけあって、助け合うことで、急速に親密感が増す。
仲間がよたよたと動く音が聞こえ、その波動を感じる。
この躙り口をくぐることで、仲間たちの一体感が生まれた。
聴覚
この会場にはいろいろな仕掛けがあった。
床は、コンクリートもあれば、木肌、砂利にも変わる。
そのたびに杖の立てる音が変わる。乾いた音、硬い音、ジャリジャリした音。
聴覚がどんどん拡張されていく。
水が落ちる音?? 滝?? ビルの中に滝?? それとも川??
コツンと杖が当たる音・・・岩だ!
そして、案内されたのは板の間。ちょんと腰かけて、寝転がっても大丈夫ですよ、と言われて、寝てみる。
そのとき、旅の仲間の一人の女性が、とんでもない冒険心を発揮する。
「私、奥まで行ってみます!」 えっ!だ、大丈夫????
「行けます! 這っていけます! あっ!踊り場があります!」
ここは、どんなに広い空間なのだろう。
視覚のない世界では、広さのスケールはとてもあいまいで、想像力のままに拡大していく。
そこかしこの音が、自分の想像力をどんどん拡大していく。これも不思議な体験でした。
「ここで、足湯をします!」
Aさんが、桶を回して、そこにお湯を入れてくれます。
この暗闇で熱湯を扱うのは、結構、冒険心が必要です。Aさんは、とても的確にお湯を注いでくれます。
まるで見えているかの如く。
そうです、ここは彼女の世界なのです。熱いお湯を扱うのも、、彼女の日常ではこの暗闇の中なのです。
われわれは、ここでは火を扱えないし、熱湯に触るのも怖い。でも、彼女にとってはそれこそが普通の空間。
「ここが、私たちの日常の景色です」
ここでは、いままで見えたことが弱点になり、いままで見えなかったことが強みになるのです。
臭覚
この暗闇の冒険は、視覚以外の感覚を徐々に覚醒するように仕掛けられていました。
ネタばれになってしまうので、これ以上は書きませんが、
光のない世界で、自分の感覚を徐々に拡張していく、素晴らしい体験でした。
例えば、なにか教えてもらえないものを回されて、その匂いを嗅ぐ。
匂いだけで物体を考える経験。
それを体験した後では、空気の流れ中に漂う微かな匂いでも、いろいろな事態を感じるようになるのです。
人間の感覚の発現とは不思議なものです。奪われると、他の部分が拡張するのです。
こうして、この漆黒の空間で、視覚以外の感覚が、どんどん拡張していきます。
味覚
そして、最後は味覚でした。
人間の味覚の大きな部分は視覚情報によると言われます。
舌そのもので感じるモノよりも、その食べ物の形状や色などの情報で、先に過去の体験から、それが記憶の中の「それ」につながり、おいしかったという記憶を呼び起こし、舌に触れる前にある程度の予告的な感覚が走っているのだとおもいます。
しかし、この暗闇では、舌に触れるまでの事前情報が存在しません。なので、口と舌から先に、そのものを体験することになります。
これも、素晴らしく面白い体験でした。
冒険の終わり、そして、蘇る視覚の世界
90分間の冒険が終わると、われわれはまた、控えの間に戻りました。
Aさんが、壁にある電灯スイッチ押して、光がゆっくりと戻ってきます。
急に光を戻すと、われわれの目は耐えられないそうで、徐々に光に慣れていくことが大事なのです。
闇の世界に「確からしさ」を与えてくれたAさん。
われわれが、まごまごする状況のなかで、的確に指示をして、指導してくれたAさん。
光のない世界で、お湯をそそぎ、足湯をさせてくれたAさん。
彼女の動きには、よどみや躊躇いがまったくないと、思っていました。闇の世界では。
この控えの間に戻ると、なにか動く前に、Aさんの手が周囲を一生懸命に探って、確認してから、行動をしていることが見えました。
この人は、こういう風に生きているんだ。
何かを探るように、手探りをしながらも、的確に動いているんだ。
それは、我々の視点から見ると、頼りなげに見えるかもしれないけど、彼女の世界ではそれが最も的確な方法で世界を認知しているのでしょう。
この世界は、いろいろな形で、認識できる。
もし、明日、視力を失ったとしても、五感を研ぎ澄ましていけば、なにかしらの方法で、生きていく術をみいだすことができるのかもしれない。
ただ、緑内障の恐怖におびえていた自分は、このダイアローグインザダークの体験を経て大きく変わった気がしました。